ネパールに目覚めたきっかけ
ネパールでのヒマラヤ山脈トレッキング。
その時は数年前までまさか自分がヒマラヤでトレッキングするなんて、想像もしていませんでした。
ネパール=発展途上国=ヒマラヤトレッキングは野宿で不衛生。
なんて勝手に想像していて、一生縁がないものだと思っていました。というか、興味すらなかった。
それが一転するきっかけになったのが、息子の学校がバックアップした、ネパールアンナプルナトレッキングツアーです。
修学旅行というものではないのですが、希望者のみが参加できるツアーでした。
学校のバックアップもあったので2週間の行程でしたが、スクールホリディ前の1週間は学校を休んで、残りの1週間はスクールホリディを利用してという形でした。
2週間中の8日間はアンナプルナのベースキャンプまでのトレッキングです。
もちろん生徒をまとめることが出来る経験豊富な実績や、アウトドア知識や、団体行動のノウハウ、山岳知識のある英語ガイドがついて、学校からは引率の先生も何名かついていました。
そんなツアーがあるらしいと聞いて、学校をさぼりたいだけなのか、それとも冒険心が目覚めたのかどうかは定かではないですが、息子が自ら参加を強く希望しました。
こんな機会は滅多にないし、トレッキングだけでなく地元の学校でボランティア活動もするというし、ネパールといういわゆる最貧国に実際に行くことで、自分の恵まれた環境を有難いと思うだけでも学習にもなるし、何より信頼できるスタッフさんが引率のしてくれると安心感もあるので、行きたいと聞いた時は少し戸惑いましたが、承諾に至りました。
ツアー費用を聞いてびっくりしましたが、AU$6000+トレッキングギアは実費で揃えるという、モルディブの水上コテージ泊まれるんじゃない?レベル。
さすがに全額はキツいので、トレッキングギアは自分のバイトしたお金で賄うという約束で承諾しました。
8日間もトレッキングとなると、荷物も多くなりますが、大きな荷物持ってくれるポーターさんあり、料理をしてくれるコックさん付きのラグジュアリートレッキングです。
基本テント泊で、標高が高い場所ではロッジに泊まったようです。
トレッキング中の8日間は連絡は取れないし、怪我はしていないか、寒くないか、雨は降っていないか、不衛生ではないかと心配していましたが、息子が帰って来てのネパールの感想は、
すごく良かった。ネパールの人はみんなほんとに優しい人ばかりだったよ。
トレッキングも不衛生でないし、ゲストハウスがいっぱいあるし、何ひとつ不自由しなかったという。
私が想像していたヒマラヤトレッキングは何もなく、水道もトイレもない野宿するところと想像していましたが、全然違うらしい。
大満足で帰ってきた息子を見て、ネパールという言うところが気になりだし、ヒマラヤトレッキングにも挑戦したくなりました。
体力づくり
いつか行こうと思い始めると、まずは歩き続けれる体力づくりから始めなければいけません。
当時からコツコツとジム通いはしていたので、筋力は何とかなるけど、少し走っただけでもゼイゼイしてしまうくらいでしたので、持久力を付ける事に専念しました。
持久力=ランニングってことで、大嫌いな走ることから始めました。
1kmも走れないくらいゼイゼイしてしまいましたが、少しずつ距離を伸ばして行くことが出来ました。
すると膝が痛くなり、その痛みが骨からくるものなのか、筋肉からくるものかも分からずだったのですが、ランニングを常にしている人に聞くと、多分膝の上の筋肉でそのうち良くなるから走り続けた方が良いってことでしたので、足を引きずりながら走りました。
そうしているうちに痛みは引いたと思ったら、もう片方の膝が痛くなり始めるという繰り返しがあっても、地道にトレーニングを続けて時間の許す限り走り続けて、ほぼ毎日10km近く走り、持久力をつけていきました。
週末はパースには山がないので、スワンバレー近くの丘を歩きに行きました。
地道な活動を1年近くして、ネパールに行くことが決まりました。
その時は次女も一緒に行くことになっていたので、次女とよく歩きにいきましたが、ダンナは全くトレーニングなしで、ほぼぶっつけ本番で初ヒマラヤの初登山という無謀ぶり。
少しでもトレーニングした方がいいと注意すると、テニスが好きなのでテニスをしていましたが、テニスのし過ぎでアキレス腱の辺りが痛くなると言っていたので、テニスよりも歩いた方が良いと言っても、歩くだけではつまらないらしく、痛いと言いながらテニスをしていました。
香港
パースからネパールには香港経由で行きました。
香港には行ったことがなかったので、往路で数泊して都会を楽しみました。
香港ではビクトリアハーバー付近に泊まったので、香港滞在中もランニングは欠かさずにしていました。
忘れもしません、あれは香港ペニンシュラホテル前の交差点を渡っていた時、ダンナがいきなり道路の真ん中で座り込み「今、ブチっていった」と言って、放心してしまいました。
それでも信号が変わるので、足を引きずりながら交差点は出ましたけど、普通ではない感じ。
ブッチって言ったくらいだから、何かが切れたのでしょう。
やはりアキレス腱の辺りが痛くて、しばらく動けませんでした。
とりあえずはホテルに戻って、休んでみることにしましたが、これから山登りに行くっていう時に。。。。
トレッキングがスタートするのは、3日後に迫っていましたが、どうなることやら。
みるみるうちにアキレス腱は腫れてきましたが、アキレス腱が切れていたら歩けるわけないし、時間が経つと普段通りではないにしろ、歩ける様にはなってきました。
ポカラで前泊
香港からネパールのカトマンドゥへ、カトマンドゥからアンナプルナ出発点となるポカラまでも飛行機移動ですが、天候が悪く待ちに待ったがキャンセルになり、車移動を余儀なくされてと大変でしたが、翌日予定通りにトレッキングスタート。
ダンナの足の方も何とか大丈夫だということで、テーピングをして山登りをすると言う。
私はこの日のために、約1年真面目に地道にトレーニングしてきたのだ。
人のアドバイスを聞かないで、遊んでいた人に邪魔はされたくない。
何度も山には行かずにポカラで1人でゆっくりしてればと聞いたけど、一緒に行くと言い張る。
山で歩けなくなったら人に迷惑が掛かるからと言っても、ガイドもポーターも「大丈夫でしょう。」と言ってくれました。
でも、もし山で歩けなくなったら、置いて行くからねっ!
と、念を押しました。
一緒に諦める訳にはいかない。不真面目なダンナのせいで、私の努力が無駄になってしまう。
歩けなくなった時点で、近くのゲストハウスで歩ける様になるまで待機してもらうつもりで。マジで置いて行くからねっ!
トレッキングスタート
トレッキングの行程は3泊4日。
アンナプルナトレッキングでは初心者コースのプーンヒルまでの往復です。
初日はひたすら上りで、とにかく階段を上り続けました。
雨が降ったりもしましたが、雨なのか汗なのか分からないくらい汗だくになり、持久力をつけたお陰で、ダンナと娘はキツいと言っていましたが、私は意外と全然イケるなと余裕でした。
1年間の努力の甲斐があったということです。
この時は現地の旅行会社にプライベートのガイドとポーター、宿泊費や食事など全部込み込みのパッケージでお願いしました。
3泊ともベストなゲストハウスを選んでくれていて、山のゲストハウスでは珍しい3泊ともトイレシャワーが付いた個室に泊まれました。
詳細はtripnote記事にしていますので、そちらでどうぞ。
【ネパール】一生に一度は行きたい、ヒマラヤトレッキングのススメ
2泊目はプーンヒル近くに泊まって、翌日朝日を見るという日程でしたので、歩行距離も短く物足りないくらいで、お天気が良くヒマラヤ山脈がきれいに見えていたので、翌日まで待たずにその日にプーンヒルまで行ってヒマラヤ山脈を見に行きたかったのですが、ガイドに明日の朝行くから待ってと言われて、行けずじまいに。
結局翌朝は曇りで、折角プーンヒルまで行ってもヒマラヤも朝日も見れない状態で、プーンヒルまでも結局行かなかった。
前日は午後から何もすることがなく、暇でしょうがなかったくらいなのに、本当にあの時のガイドの判断に憤りを感じました。
ヒマラヤトレッキングでは基本的にはガイドを付けることになっているのですが、マストではなく個人で歩いている人もたくさんいます。
しかし安全性や地元の経済の活性化を含めても、ガイドは付けたいものです。
しかしこの時の様に、ガイドが邪魔になる時もあるんですよね。
ガイド的にはどうせ翌朝も行かなければ行けないのだから、2度も行きたくないという気持ちはありますよね。
しかし私たちは自分たちで行けるからと、同伴を断ったにも関わらず、道中の責任があるのでしょう。行かせてもらえませんでした。
折角ネパールまで来たのに、目の前にある目的地でヒマラヤ山脈を間近で見る事が出来なかったんですよ。
翌朝にガスってるときは、温厚な私もあからさまに不機嫌になりました。
という事で、3日目はほぼ下りでひたすら下って、たまに上ってという感じで、8時間歩き続けれるという、さすがに足がガクガクになりました。
足場は当たり前ですが平たくなくゴツゴツしていますので、足をくじかない様に注意をして慎重に歩いていきます。
ですので常に次の足場の事しか考えられず、雑念が頭から消えて、トレッキング中は山の静けさとか、川や風の音とかを聴きながら、メディテーションでもしているようでした。
同行した家族とは会話はそんなにしてなくとも、同じ景色を見ながら体験をしていることで一体感を感じて、山登りの素晴らしさを実感しました。
何とか3日目も無事終了して安堵していましたが、その日のトレッキングが終わった頃に、あれ?足が重いかも。。。という感じでしたが、ストレッチして寝たら、明日は治ってるだろうと就寝しました。
翌日。。。。最終日です。
足が思うように動かず。腿もふくらはぎも足全体が重く、歩くのもスーパースローでロボットのようでした。
重度の筋肉痛。
持久力を付ける事に専念し過ぎて、筋力をつけてなかった。スクワット大事ね。
この筋肉痛は前の日の下り続きの8時間歩行から来ているのか、あるいは初日の上り続きを調子に乗って軽快に上り過ぎた事による、2日後に来た筋肉痛なのかは定かでありませんが、とにかく歩けない。
いや、歩けない事ないけど、スーパースロー。
特に下りがキツくて、一歩一歩とにかく遅い。
ガイドが気を使って合わせて歩いてくれたけど、こっちが逆に気を使ってしまう。
車を呼べる場所まで降りたら、車を呼んぼうかとも聞かれたが、足は思うように動かないが、トレッキングが終わってしまうのが名残惜しくて、「大丈夫歩ける」と言って頑固に歩く。
ダンナからは置いて行くからねっ!と4日前に私が放った言葉を返される。
当のダンナは犬並みの回復力で、トレッキング中何の問題もなくこなしている。
山に置いて行くなんて、人に言うもんじゃないですね。
ま、ばちが当たったんでしょう。素直に学習します。
その日の私は草刈正雄の復活の日状態で(分かる人いますかね?)、もたもたと歩き続けました。
途中から平地をひたすら歩くのですが、横を車が通り過ぎたりして、やっぱり車に乗れば良かったと思ったりもしましたが、時より現れる現地の方々が幸せそうで、頭の中ではガンダーラが巡っていました。
♫ガンダーラ ガンダーラ 愛の国ぃガンダーラ〜♫
ネパール最高です。
とボロボロになりながらも、どうにか充実の4日間のトレッキングを終えたのでした。
終わった瞬間、次はアンナプルナベースキャンプに行くぞ!!と、希望を膨らましました。
と、長い文章になってしまいましたけど、ヒマラヤトレッキングの魅力、伝わっていたら嬉しいです。
この翌年、アンナプルナベースキャンプまでのトレッキングに挑戦することになります。
その模様はいつかまた。