日本に滞在してましたが、シンガポール経由でちょっと遊んでからパースにちょこっと帰って、年末年始は日本です〜

パースの自宅を出発してから8日目、ようやくタスマニアへ渡れるフェリーに辿り着けそうです。

タスマニアへ渡るフェリー、スピリット オブ タスマニアの出航時間は19:30でしたので、余裕を持って17時半くらいには港に着いていたいと思いました。

南オーストラリアとビクトリア州のボーダーからフェリーが出航するポートメルボルンまでは、5時間と以外に時間がかかる。

せっかくだからグレートオーシャンロードを通って行きたいと思ってたけど、忙しなくなりそうなので、帰りの時のお楽しみとします。

南オーストラリア州とビクトリア州のボーダー

コロナ禍でしたので、ボーダーの検問ありでした。特に何か証明を見せるなどなかったですが。ここを越えてから、ビクトリア州は24時間以内で出ないとタスマニアには入れません。

ま、全て自己報告ですけど。

やっぱりあまりビクトリアの人と接触しない方が良いかと思い、この日はひたすら目的地に向かって車を走行させるだけでしたね。

途中、ダンナさんが厚いウエットスーツが欲しいといって、トーキーのアウトレットに寄っただけです。

スピリット オブ タスマニア乗船

1ヶ月前くらいにフェリーは予約したのですが、タスマニアがオープンになるのが12月15日ということで、15日以降のフェリーがフルブック状態だったので、フェリー予約時に年内でいちばん遅く予約できる日がこの日の12月12日でした。

そんな訳で、このコロナ禍の中、ちゃんとフェリーに乗り込んでタスマニアに上陸するまでは、気が気じゃない状態で、一度西オーストラリアを出てしまったら、戻るのが難しい状態でしたので、何かあったらビクトリア州か南オーストラリア州でスタックという状態にもなり兼ねなかった。

なんとかフェリーに乗船できそうなので、わくわくタイムです。車ごと船に乗るなんて滅多にないからね。


いよいよ乗船です。乗船出来たらひとまず安心。

メルボルンよおさらばです。って、メルボルンは素通りしただけだけど。

結構大きなフェリーで、船内は色々な施設があるみたいだったけど、この時はコロナ対策で、フェリーに乗り込んだら自室に篭っていなけければいけない事になっていました。

通常だったらリクライニングチェアがある場所があるらしく、そこで仮眠すれば部屋なしでもエクストラの料金がかからないらしいけど、この時はマストで部屋を確保しなければなりませんでした。

狭いながらにトイレもシャワーもちゃんと着いてて、寝るだけでだし快適です。

ただフリーWi-Fiはなしで、自分の電話の4Gも海の真ん中では繋がらなかった。

大きな船だから大丈夫かと思ったけど、夜中に結構揺れて、気持ち悪くなることはなかったけど、タイタニックを連想してしまい怖かった。

船旅はやっぱり性に合ってないかも。

復路はワインをいっぱい飲んで寝てしまおうかと思います。

全く寝れなかったけど、なんとかタスマニア、デボンポートに到着。タスマニア上陸許可証のようなものを事前に申請していたので、それを見せて、顔承認のできる証明書を見せて無事上陸出来ました。

スピリット オブ タスマニアさん、結構揺れて怖かったよ。。。。

デボンポートではAgMoveの申請などを済ませてから、キャンプ場探し。

勤め先になるファームの近くの街のキャンプ場が素敵だったので、そちらに滞在しました。

ここのがめっちゃ良くて、タスマニアの第一印象が最高になりました。

この次の日からエアビーで民泊を一週間予約していたので、そちらに滞在しましたが、このキャンプ場にはまた戻って来ることになりますので、その様子はまた別記事にしたいと思います。

これでやっとオーストラリア縦断ロードトリップ記事が完結しました。

タスマニア滞在記も追って記録していきたいと思います。

 

ちなみにこれを書いている2月の上旬ですが、西オーストラリア州に戻るのは住民でも難しい状態です。西オーストラリア州は厳しいからね。

元々は2月5日にオープンになるって事でしたが、オミクロンの拡大でまた大変なことになっていて、閉鎖になってるし。2週間のホテル隔離が必要なようで、そんな状態だったらタスマニアで西オーストラリアがオープンになるまで留まります。